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先日、ゼミの後輩にお昼ご飯を誘われて、久しぶりに学食に行きました。 その帰り道、構内の緑を抜けて、散歩しながら戻っている最中に撮った、風景です。 秋の陽を浴びて、木々の奥に見える大きな池の水面が、きらきらとしていました。 本を読んでいて気に入った文章に出会うと、写経するように、小さなノートに書き写す癖があります。 文体や、句読点から伝わってくる著者の息遣いまで、模写するように、と言ったほうがいいでしょうか。 今日、ノートをぱらぱらとめくっていたら、昨年の夏のある日につけた文章が、目にとまりました。 科学思想史を専門とされている方が書いた本の中の文章です。 いつものように何気なく読み進めていたのだけれど、最後に、著者が若者に向けて書いた文章を読んで、涙が止まらなくなったのを覚えています。 ~・~・~・~・~・~ '04.8.6 ・・・・でも、そうやって年をとればとるほど先細りふうに選択肢が減っていくという表象自体、きわめて空間的な表象だと思わないか。僕は、確かにもう、エンジニアになる可能性はない。でも、それは僕が、これから僕が持続のメロディをどう奏でていくかということになんら危害を加えるものではない。僕の瞬間は、まだきっと若い君の瞬間同様に、僕が純粋持続に耳を澄まそうという努力を怠りさえしなければ、十分な重みと、十分な自由を持っている。 一方、君がもし、まだとても若いとしても、すでに君のなかには簡単にはたどりきれないくらいのメロディが集積されている。君のこれからの一つひとつの瞬間は、君が意識しないときでもしっかりと純粋記憶となって残っていく。それは、君を後ろからそっと支えてくれる。君の過去は、暴君のように君の現在や未来を決めてしまうものではなく、むしろ君が<生の弾み>を実現したいと思うときの後ろ盾のようなものになってくれるはずだ。 とにかく決して忘れるな、君がすでに内部にかかえもっている、溢れ出るような持続のつぶやきに、ほんの少しでも注意を凝らせば、いつでもそれを聞き取ることができるのだ、ということを。 君の持続のオーロラのような揺らめきに、君がいつまでも敏感でいられますように。 金森修、『ベルクソン:人は過去の奴隷なのだろうか』、NHK出版 ~・~・~・~・~・~ この文章を読んで、涙が止まらなくなったあの頃のことを、今日、久しぶりに、思い出しました。 過去の孤独や傷も含めた、誰もがすでに抱え持っている、溢れ出るような持続のメロディ。 自分のだけではなく、誰かの持続のメロディにも、静かに耳を傾けていられるようでいたいと、今は思います。
by anim-_-m
| 2005-11-30 04:01
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